突然ですが、私はお母さんっこです。
「複雑な家庭」と言われる一般の家庭とは、色々とかけ離れた家庭でしたが、私は楽しく幸せに生きてこれたと思っております。
高校生活では自分で学費を払い、その頃から親元を離れて暮らしたせいもあり、約17年間しか一緒に生活してませんでしたが、私は両親が大好きで、弟たちも大好きで、そしてお母さんが大好きです。
本来、私事なので書かなくてもよい事なのですが、色んな方に応援して頂いてる活動をしている事もあり、事情を説明するのが筋だろうと思い、この記事を書かせて頂きました。
明るい話題では無い為、気になる方だけ続きを観て頂ければと思います。
※画像は、2010年11月の母と初めて行った沖縄旅行
最近、私が『人生の修羅場』だとか『つらい』とか言ってたり、毎日泣いてたりしておりますが、私の中でとりあえずの形ですが、文字にする事が出来そうなのでご報告させて頂きたいと思います。
約1年半前、初めは母の右手小指が動かなくなる…という症状でした。
似たような症状…「肘部管症候群」で手術して治った友人が身近にいた為、さして心配はしていなかったのですが、どんどん症状は悪化して行きました。
もちろん病院も10件以上も回ったのですが、腱鞘炎と診断されるか原因不明と診断され、一向に良くなるどころか痛みを伴いどんどん動かなくなる指が増えてゆきました…。
去年の10月頃、大きな大学病院で検査入院をする事が決まったのですが、ベッドの空き待ちで今年の1月予定だった話が、4月まで伸びました。
ですが、検査入院をして原因も特定できて、手術はする事になるだろうけど、また元気な母に戻ると思っていました。
4月20日水曜日、母が検査入院している病院に行きました。
検査結果が出たので、その結果を聴くためです。
午前中に…9時半には着いてないといけなかったので、朝7時出発でした。
入院先の大学病院まで実家から車で2時間かかります。
母は元気でした。
手の痛みさえなければ。
時間になって面談室に向かいました。
父と母、そして私。
今まで入院していっぱい検査した結果を1つずつ説明してもらいました。
結果…病名は、筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)、通称ALSと言われました。
難病指定をされてる病気で、筋肉がどんどん機能を低下してしまって、体の筋肉が動かなくなる…
そして最終的には、肺で呼吸する力も無くなってしまい、そのまま…。
普通は末端から動かなくなるのですが、母が今来てるのが、右腕右足…
そして体の中心部からきてる事がわかりました…
余命が2年も無いかもしれない…。
そんな言葉を聴いたとき、頭が真っ白になり、次第に出てくる涙が止まりませんでした。
母が泣いてないのに、私が泣いてはいけない!…と思っていても、声を殺す事しかできませんでした。
次第に、状況を理解する母。
私を見て、「なんでお前が泣いてるのよ!泣くな!!」
そう言った母は、目に涙を浮かべてました。
ALSは、治療法が見つかってない難病です。
呼吸用の管を通せば、脳と視覚、聴覚は衰える事は無いそうなので、延命は出来るけど、母の体は動きません。
多分母の性格を考えたら、とてもそれは辛いことなので、呼吸管は通さないと思います。
この検査結果を聴いたその日に、生放送のお仕事だったのを覚えています。
気が緩むと涙が勝手に落ちてくるので、必死に堪えてました…。
入院中、父が乗った原付が、車と衝突事故を起こしたり、他にも良くない事が立て続けに起こっていて、正直心がギリギリでした…。
一ヶ月以上経った今でも、気が緩むと泣いてしまいますが、こうして文字に起こせるくらいには気持ちが落ち着きました。
ですがこの一ヶ月半は、とても長く感じた一ヶ月半でした…。
母がやりたい事を聴きました。
・沖縄、塗装中で見れなかったちゃんとした首里城を見たい。
・台風の関係で、予約してたのに行けなかった青の洞窟に行きたかった…。
・もう一度、おきなわワールドのスーパーエイサーを見たい!
上記3つが、心残りだそうです。
青の洞窟は、シュノーケルツアーなので、体力的にも病気の進行状況的にも無理でしょう…。
私は、探しました!
どうにか一緒に青の洞窟行けないか!!
あったんです…北海道に…!!船でも行ける青の洞窟が!!
なので、沖縄にも行きますが、北海道にも行ってきます!
2年前には無かった点滴と、副作用の強い薬を使って、病気の進行を抑えておりますが、症状の進行スピードが一気にくる場合がある病気なので、行けるうちに行きたいのです。
点滴も薬も保険適用外で、難病医療費助成制度の申請はしたのですが、早くて2〜3ヶ月はかかるので実家の生活もギリギリな状況…。
私、この時の為に4月頑張った人生だった。
超会議の売上と、他は何とか工面して父と母と旅行行ってきます!
北海道旅行には、なっちゃん( @undounatsu )が、そして沖縄旅行には、おとんとおかんのお友達と4人で行くのです!
※なっちゃんと北海道旅行行く事になった経緯
http://morisayuru.blog.jp/archives/51672505.html
あまりライブに出れなくてごめんなさい。
いつもジリ貧とか言ってるのに、旅行ばっか行ってごめんなさい。
ジリ貧なのには変わりないです…。
今も、割れてしまったファンデーションをどうにかまだ使ってたり、決して贅沢とは言えない生活を送っておりますw
でも、私の人生において、ここで頑張らないでいつ頑張るの!?って状況なんです!!
お金はあとで取り戻せますが、時間は取り戻せません…。
私の心残りは、私が生んだ孫を抱かせてあげられる事が出来ないくらいで…(産む気とかさらさらないがw)
この記事を公開するかしないで悩んだ事もありました。
大抵の人は、私に対して「何かあったんだろうな〜」で終わりだと思うんです。それでいいんです。
でも中には、本当に心配してくださってる方も少なからず居て、私はその方々にきちんと状況を説明したいと思ったので書きました。
同情をひいて何かをしようとかいう気持ちでは全くありませんので、いつもと変わらずのお付き合いでお願い致します。
母の日に、LINEのタイムラインに一言書いたんです。
もちろん父も母は、私以上に使いこなせてないから見ない事を前提に書いたのですが、まさかの母からのコメントがありました。泣きました。
だから、私、ハードスケジュールになろうとも、頑張れます。
頑張ります。
でも私、とても強欲なのです。
ライブ活動は、出来る範囲で出ます!
もちろんコスプレ活動もしていきます!!
母も、自分の為に色々犠牲にされるの嫌だと思うから…。
私は私の人生を楽しみます!!
ただ母の為に使う時間の比重が今までよりも大きくなるだけです!
こんな状況なのですが、これからも諸々よろしくお願い致します。
「複雑な家庭」と言われる一般の家庭とは、色々とかけ離れた家庭でしたが、私は楽しく幸せに生きてこれたと思っております。
高校生活では自分で学費を払い、その頃から親元を離れて暮らしたせいもあり、約17年間しか一緒に生活してませんでしたが、私は両親が大好きで、弟たちも大好きで、そしてお母さんが大好きです。
本来、私事なので書かなくてもよい事なのですが、色んな方に応援して頂いてる活動をしている事もあり、事情を説明するのが筋だろうと思い、この記事を書かせて頂きました。
明るい話題では無い為、気になる方だけ続きを観て頂ければと思います。
※画像は、2010年11月の母と初めて行った沖縄旅行
最近、私が『人生の修羅場』だとか『つらい』とか言ってたり、毎日泣いてたりしておりますが、私の中でとりあえずの形ですが、文字にする事が出来そうなのでご報告させて頂きたいと思います。
約1年半前、初めは母の右手小指が動かなくなる…という症状でした。
似たような症状…「肘部管症候群」で手術して治った友人が身近にいた為、さして心配はしていなかったのですが、どんどん症状は悪化して行きました。
もちろん病院も10件以上も回ったのですが、腱鞘炎と診断されるか原因不明と診断され、一向に良くなるどころか痛みを伴いどんどん動かなくなる指が増えてゆきました…。
去年の10月頃、大きな大学病院で検査入院をする事が決まったのですが、ベッドの空き待ちで今年の1月予定だった話が、4月まで伸びました。
ですが、検査入院をして原因も特定できて、手術はする事になるだろうけど、また元気な母に戻ると思っていました。
4月20日水曜日、母が検査入院している病院に行きました。
検査結果が出たので、その結果を聴くためです。
午前中に…9時半には着いてないといけなかったので、朝7時出発でした。
入院先の大学病院まで実家から車で2時間かかります。
母は元気でした。
手の痛みさえなければ。
時間になって面談室に向かいました。
父と母、そして私。
今まで入院していっぱい検査した結果を1つずつ説明してもらいました。
結果…病名は、筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)、通称ALSと言われました。
難病指定をされてる病気で、筋肉がどんどん機能を低下してしまって、体の筋肉が動かなくなる…
そして最終的には、肺で呼吸する力も無くなってしまい、そのまま…。
普通は末端から動かなくなるのですが、母が今来てるのが、右腕右足…
そして体の中心部からきてる事がわかりました…
余命が2年も無いかもしれない…。
そんな言葉を聴いたとき、頭が真っ白になり、次第に出てくる涙が止まりませんでした。
母が泣いてないのに、私が泣いてはいけない!…と思っていても、声を殺す事しかできませんでした。
次第に、状況を理解する母。
私を見て、「なんでお前が泣いてるのよ!泣くな!!」
そう言った母は、目に涙を浮かべてました。
ALSは、治療法が見つかってない難病です。
呼吸用の管を通せば、脳と視覚、聴覚は衰える事は無いそうなので、延命は出来るけど、母の体は動きません。
多分母の性格を考えたら、とてもそれは辛いことなので、呼吸管は通さないと思います。
この検査結果を聴いたその日に、生放送のお仕事だったのを覚えています。
気が緩むと涙が勝手に落ちてくるので、必死に堪えてました…。
入院中、父が乗った原付が、車と衝突事故を起こしたり、他にも良くない事が立て続けに起こっていて、正直心がギリギリでした…。
一ヶ月以上経った今でも、気が緩むと泣いてしまいますが、こうして文字に起こせるくらいには気持ちが落ち着きました。
ですがこの一ヶ月半は、とても長く感じた一ヶ月半でした…。
母がやりたい事を聴きました。
・沖縄、塗装中で見れなかったちゃんとした首里城を見たい。
・台風の関係で、予約してたのに行けなかった青の洞窟に行きたかった…。
・もう一度、おきなわワールドのスーパーエイサーを見たい!
上記3つが、心残りだそうです。
青の洞窟は、シュノーケルツアーなので、体力的にも病気の進行状況的にも無理でしょう…。
私は、探しました!
どうにか一緒に青の洞窟行けないか!!
あったんです…北海道に…!!船でも行ける青の洞窟が!!
なので、沖縄にも行きますが、北海道にも行ってきます!
2年前には無かった点滴と、副作用の強い薬を使って、病気の進行を抑えておりますが、症状の進行スピードが一気にくる場合がある病気なので、行けるうちに行きたいのです。
点滴も薬も保険適用外で、難病医療費助成制度の申請はしたのですが、早くて2〜3ヶ月はかかるので実家の生活もギリギリな状況…。
私、この時の為に4月頑張った人生だった。
超会議の売上と、他は何とか工面して父と母と旅行行ってきます!
北海道旅行には、なっちゃん( @undounatsu )が、そして沖縄旅行には、おとんとおかんのお友達と4人で行くのです!
※なっちゃんと北海道旅行行く事になった経緯
http://morisayuru.blog.jp/archives/51672505.html
あまりライブに出れなくてごめんなさい。
いつもジリ貧とか言ってるのに、旅行ばっか行ってごめんなさい。
ジリ貧なのには変わりないです…。
今も、割れてしまったファンデーションをどうにかまだ使ってたり、決して贅沢とは言えない生活を送っておりますw
でも、私の人生において、ここで頑張らないでいつ頑張るの!?って状況なんです!!
お金はあとで取り戻せますが、時間は取り戻せません…。
私の心残りは、私が生んだ孫を抱かせてあげられる事が出来ないくらいで…(産む気とかさらさらないがw)
この記事を公開するかしないで悩んだ事もありました。
大抵の人は、私に対して「何かあったんだろうな〜」で終わりだと思うんです。それでいいんです。
でも中には、本当に心配してくださってる方も少なからず居て、私はその方々にきちんと状況を説明したいと思ったので書きました。
同情をひいて何かをしようとかいう気持ちでは全くありませんので、いつもと変わらずのお付き合いでお願い致します。
母の日に、LINEのタイムラインに一言書いたんです。
もちろん父も母は、私以上に使いこなせてないから見ない事を前提に書いたのですが、まさかの母からのコメントがありました。泣きました。
だから、私、ハードスケジュールになろうとも、頑張れます。
頑張ります。
でも私、とても強欲なのです。
ライブ活動は、出来る範囲で出ます!
もちろんコスプレ活動もしていきます!!
母も、自分の為に色々犠牲にされるの嫌だと思うから…。
私は私の人生を楽しみます!!
ただ母の為に使う時間の比重が今までよりも大きくなるだけです!
こんな状況なのですが、これからも諸々よろしくお願い致します。
でも自分が倒れて心配だけは掛けるなよ。
知り合いは個々に得意分野が有るから必要な時は何時でも声を掛けて頼めよ。
何をするのも自分の為に時間を使ってね。